第二回 お愛の方を巡る旅
お愛の方の生母・お貞が嫁いだ先は、掛川市の西郷地区で、そこでお愛は生まれました。
また、夫の死後は、母と共に西郷で暮らし、立ち寄った徳川家康に見初められて、側室になりました。
(2015年6月訪問)
1.西郷地区
2.五社神社
遠江国佐野郡日根郷には「西郷」と呼ばれる地区があり、徳川二代将軍秀忠の生母である西郷局の生家があります。
西郷局の父親は戸塚忠春、母親は八名西郷氏の西郷正勝の娘・お貞(「おさい」とも)です。なお、西郷局の生家は構江公民館となっていて、「西郷斎宮」と案内板があります。
お愛の産土社の五社神社(掛川市上西郷2661)です。
元旦には約10万人が参拝する静岡県浜松市の「五社神社・諏訪神社」(浜松城内に創建されたが、遷座して、現住所は浜松市中区利町302-5)の元宮だそうです。
3.平塚砦
4.九曜石
(名字石)
お愛の父親は、戸塚忠春とされますが、異説も多く、その異説の中には、お貞の再婚相手の服部正尚(後の蓑笠之助)を実父とする説もあります。服部正尚は、服部平蔵正信の長男で、伊賀忍者だと言われています。
その服部正尚が築いたのが、平塚山の平塚砦だとか。
お愛が徳川家康の側室になり、「西郷局」と呼ばれるようになると、西郷氏は、同じ名であることを憚り、「石谷(いしがや)氏」と苗字を変えました。その石谷氏の家紋(九曜)のおこりとなったという九つの巨石が「九曜石」です。
5.石谷氏館
(石田氏館)
6.石谷城
(美人谷城)
石谷氏の居館は、美人谷→石谷→中島と移ったようです。『掛川誌稿』という本に、「石谷氏、西郷氏の石谷に住して数世伝えたりと見ゆれば、その古墟も一所にてはあるべからず」とあります。上の写真は、中島の石田氏館の霊栄大明神です。
「鬢ぜヶ谷(びんぜがや)」(「鬢ぜ」とは、鬢が禿げた状態をいう)は、西郷局に因んで「美人」という字を当てて、「美人谷(びじがや)」と改名されました。山本神社(掛川市上西郷3918)の裏山が美人谷城で、石谷氏の居城だとされています。
7.観音寺
戸塚忠春の墓は、平塚山の山麓の観音寺(廃寺)にあります。寺の跡地は、公園になっています。